sunaowamuteki’s blog

フザケたり真面目に幸福を追求したりロマンを大切にしたりしながら生きてる日常。


「俗物でよろしいやん」と感じたこと

BSで「ぶらり鉄道旅」を観つつ、ブログチェックしながら朝食のトーストを食べてたんだけど。どんだけ「ながら」やねん。お行儀の悪い。

 

若い俳優さんが嵐電で京都をめぐり、“桜のおともに…〇〇”をテーマに探して歩くというもので、京都の文化のいろいろを紹介してたんやけど。

 

なんせ「ながら」で観てたもんで全部ちゃんとみてたわけじゃなかったけど、その中でひとり俗物が干物みたいになったカンジ「なんか、うっとおしげなジジイが出とるな。なんやこのジジイ」と思って「ながら」の目を惹いたのが、200種類ほどの桜を守る“桜守”の御爺様でした。←急に敬語になっとるぞい。(*´з`)

 

桜守としてまあいろいろやってはんねんやろけど、それは知らんけどテレビで紹介してたのは、御爺様は毎年の桜の花を丁寧に分解して一枚ずつ花びらを並べて雄蕊とかも1本ずつきれいにばらして並べて、それをエエカメラ(←やらしい)写真を撮ってるのを観た時に私、その御爺様にものすご好感を持ったっていうか好きになった。

 

「感性が現役やなー」って思って、愛おしくてスリスリしたくなった。ゴメン。いくらジイさんでも、アラフィフ主婦にされたら気分悪いやろうな。やめとこう。

 

まあ、そんな風に嵐山の桜を愛している桜守の御爺様に若い俳優が、「この桜に添えるものってなんでしょうか?」と質問。

 

いや、この俳優さんが悪いんとちゃう。番組側が言わせてる決まり文句的なやつ。

 

「そんなもん、無いやろ」と私がテレビにつぶやく。

 

桜守の御爺様、頭を傾げて少しは考えるふりをしてあげてから「そんなもんは、ないんとちゃうか。うん。」と答える。

 

70代に見えたけど番組HPで見たら90歳らしい。うそッ。なんかやっぱり腹立つ。

これだけ誰より長く桜をみてきた御爺様、おもむろにそばの桜の枝を手に引き寄せて、「これ、去年はこんなに咲いてへんかった。今年はこんなに咲いとる。わからへん。なんでかさっぱりわからへん」と。

 

「きっと、ずっとわからへん。わからんこといっぱいや。きっと、わからんまま死んでいくんやろう。それでええ思とる」

 

嵐電の線路を挟んで咲く桜、古からの緑の中に立ち並ぶ家々、五重塔、それらを映像で観ていてふと、「俗物でエエやん」という言葉がでた。

 

こういう場所や景色って、ちょっとなんか現代の喧騒いわゆる「俗世を離れた」って感覚を味わうみたいなイメージやけども、いや、それで別にイイんやけど。

 

この咲いてる桜やその他の植物、動物も、各々が生存競争に負けまいとして「生き残る」ことに忠実になりながらそこに存在し、寺院なんかも全部「俗物」である人間がこしらえたものだ。
この世は娑婆世界なのだから当たり前だ。眼の前の景色は、俗物で溢れている。そしてそれがこんなにも美しいのだ。

 

若い時は、「俗物」的なものを嫌っていた時期があった。

でも今は、その「俗物」たちがうんと昔から織りなしてきた風景になんとも言えない気持ちがいっぺんに押し寄せてきて、いっぱいで熱くて胸苦しいぐらいだ。

 

俗物ブラボー。

 

私は最期に死ぬ時は、「あ、あれもやらな。あ、あれも」と先の用事を思い出しながら死んでいきたいと思ってた。

 

以上、今朝思った「俗物でよろしいやん」でした。

 

ではこれから、広告の仕事に行ってきます。(*'ω'*)