メダカ鉢を眺めていて感じた事
家に、メダカ鉢が3つある。
昨年の夏に産まれた子メダカがいるのでその身体の大きさで鉢を分けている。
彼らはこの鉢の中の世界しか知らない。
自分達の本来の生息場所である用水路や田んぼ、河川や汽水域といった環境を知らない。
ウチの家のこの鉢の中で生まれ、死んでゆく。
ついこの間まではそんな事を思った時「かわいそうやな…」と感じていたと思うのだけど、自分の加齢によって感じ方が変わってきたのか、「人間も一緒や」とふと思った。
自分の人生は、このメダカ鉢の中と同じ。
このメダカ鉢に入る前の自分を私は知らないし、メダカ鉢から出た後の自分も知らない。
だから私の人生は、このメダカ達と同じ。
現在メダカ達はみんな「冬越え中」で半冬眠状態。ピクリともしないけど、私がこうしてたまにジッと見ていたり、良く晴れた日に紫外線浴をさせるために鉢を動かしたりするとシュッと機敏に泳ぎまわっている。
私は仏教の「常住」という言葉が好き。
なんであろうと、みながその「常住」。
観じようと観じまいと関係ない。あるとかないとかの証明などは全くもってホントにどうでもイイ。
メダカ鉢の中も外も「常住」。
なのにいかんせん、この世界は「無常」をやたらと感じるようにできているみたい。
ならばこの「無常」を楽しむほかない。「乗り越える」っていうのはたぶん、そういうこと?
なんだかんだ言って、やんわりと自らを鼓舞してる。
そんな自分に「頑張ってるなぁ…」と、セルフよしよしヾ(・ω・`)をしてあげた、ある冬の日でした。