sunaowamuteki’s blog

フザケたり真面目に幸福を追求したりロマンを大切にしたりしながら生きてる日常。


渡る世間は鬼ばかり📺が好き

元サバイバーの私は「渡る世間は鬼ばかり」を観ることで、他人への甘え方を知ったんだと思う。

 

まだ若い頃の話になるけど、その経緯を記事にしてみる。

 

 

 

はじめに

 

 

他のブロガーさんの記事で「甘え方を知らない、と人に言われる」というのを読んで、自分も昔そう言われたなあ、と思い出した。

 

16歳で一人暮らしをしていた私は、当時働いていた喫茶店のマスターに

 

「○○ちゃんは甘え方を知らないね」

 

と言われたのだが、その意味がわからなかった。

今はわかるんやけど、その時はどんだけ考えてみても何でそんなこと言われなアカンのかわからんかった。

 

何となく「イイ意味ではない」事は感じて、なんか哀しかったのを覚えている。 

 

 

私が社会に出るまでの来し方↓
sunaowamuteki.hatenablog.com

 

 

「阿らない人」というスタンスで正解を得たゆえに

 

私が独り立ちする前の、中学生の頃に話を遡らせてください。

 

中学の1年の夏に、大阪から神戸へ引っ越しすることになり転校した。

転校生として先生に皆への挨拶を促された時、私は皆の方ではなく教室の窓の方に顔を向けてボソッと「○○ △△です」と名乗った。これは未だに同級生の間でネタにされる。

 

 

この時から私は完全に「阿らない人」になった。

休み時間は本を読んでいた。お昼のお弁当ももちろん一人。

 

ずっと無表情。

 

大阪で出来た親友とは遠く離れ、ここでは誰も私の事を知らないし、私もみんなの事を知らない。知りたいとも知って欲しいとも心の底から思わんのやから仕方ない。

 

当時の私を「飄々としてて、カッコ良かった」と、大人になってから同級生が言ってくれたのがちょっとウレシかった。

 

え?イジメられへんかったのかって?

 

そんなん、イジメる側の人間って人の顔色を伺うのが得意やからそういう子には無言の圧力を示すだけで十分。 

Sは自分以上のSには関心を持たない。

部活をやってなくて、チームワークが必要な場面が無かったからこそ通用する方法でしかないけど。

 

2時間目の授業からひょっこり登校してきたり、3時限目には帰ってたり、そんな自由登校をしてた私。出席日数もギリギリ。良い子はマネしちゃいけません。

 

そんな私でも潔く自分を貫いていたのが良かったのか、そんな私に興味を持って寄ってきてくれる女子や好意を持ってくれる男子も出てきて中学の2年と3年のこの2年間はホントに楽しかった。

 

腹違いの兄はすでに家を出て寄り付かなかったし、祖母は入院がちで父は1週間か2週間に数日しか帰ってこないから、1人暮らしみたいなもんやった。

 

人生で一番、笑ってた2年間やった。

 

あ、でもグレてた訳でも「ヤンキー」でも無かったから、家に友達を呼んで騒ぐとかたまり場にするとかは無い。昼間に家に呼んで普通に遊んだりはあったけど。

 

 

このままではいけないと思った

 

本題に戻りますが、「阿らない人」になった事で楽しい日常を得たのはヨカッタけど、私はそこから何年も人間としての成長が無かったのです。

 

人と違う自分の何かが、社会では通用しないのを肌で感じるようになってきても、
「普通」というのがわからないんです。

 

17歳の時に働いてた喫茶店で、後からバイトで友達同士で入ってきた年上の2人組の女の子にイジメられ(そのせいで仕事がちゃんと回らんくて)なんか相手にも自分にも失望して真っ白になっちゃって仕事をブッチしてそのまま一か月半ほど失踪。

 

それをきっかけに今の自分のままでは仕事はやっていけない事を思い知りました。


学歴も技能も自分の親という後ろ盾も持たない17歳。
せめて「普通」を会得しなければ食いっぱぐれるという危機感が!
自活してるので当たり前です。

だからとにかく「普通」というものになりたいと、それが人生初の課題になりました。

 

渡る世間は鬼ばかり」を観はじめる

 

私はもともと「渡る世間は鬼ばかり」が大っ嫌いでした。

 

いかにもベッタベタの「人情ドラマ」なイメージが。

 

テレビつけててうっかり、その「渡鬼」のドラマのイントロ音楽が流れたら速攻チャンネル変えるぐらいに嫌ってました。

 

それが、ある日なんとなく「一般的な世間の感覚を識るのには、渡鬼を観るのがエエんちゃうか」と思ったんです。
きっと、渡鬼が多くの世代からの共感を長く得ていたドラマだったからだと思います。

 

それで、ビデオをレンタルして一話から観ました。

 

主人公の五月(泉ピン子)が中卒という設定に親近感を得たのもあったのかも。ラーメン屋で真面目に働きそこの2代目と結婚して姑や小姑からのイビリに耐え子供も2人立派に育てるという我慢強い姿をエライと素直に思い、あんなに毛嫌いしてたドラマが早く家に帰って続きを観たいと思う程にハマりました。

 

 

変化

 

渡鬼が超長く続いてるドラマである事と、当時は今ほどビデオレンタル料金が安くなかったので全話を観るのに多分、半年~1年ぐらいかかったと思います。

 

そうして渡鬼を観続けるうちに、私が知らない「家族というものの疑似体験」をしている様な気持ちになって、渡鬼の世界がとても心地よくなっていきました。その「疑似体験」によって、自分の中にあるでっかい空洞の存在に気付きました。

 

「私ってめっちゃ寂しいんや」ということに。

 

気付いてしまうと、朝のぎゅうぎゅうの満員電車が逆に「人間の温もりに囲まれてる」と快く思えるし、真夏の灼熱の部屋でさらに布団かぶって寝たりするように。
心頭滅却すれば火もまた涼し」みたいな。ちゃうな。ちょっと変態じみてる?
なんせ、自分のスイッチがひとつ完全にオフになってしまってココロの寒さが体感に現れるようなおかしな状態がしばらく続いた。でもそれも自然に治った。

 

 

他人に甘えられるようになっていった

 

心の空洞を隠さずに、それを感じてる自分そのままで他人と接することが出来る様になってました。

 

そんな自分でも他人は受け入れてくれる事を経験し、それでまた、あの中学生の時の2年間のような楽しさが20代の始めの職場での人間関係でも得られるようになった。

 

周囲が年上ばっかりやったのもあってか、ホンマに可愛がってもらった。
そのおかげかも知れん。私がいま若い人に対する感情が、ただただ微笑ましくて楽しくて気分がイイのは。若くしてすでにオバハンの如きスピリットの持ち主には辟易としてまうけど。

 

 

まとめと「生きづらさ」というものと

 

なんせ、私は渡鬼で自分を取り巻く環境を変えることができた。もちろん全部じゃないけども。

 

みんながみんな、渡鬼を観て自分を変えれる訳じゃない。
きっかけがどうであれ、方法がどうであれ「何のために」という目的意識が強くなければ何にもならない。

 

 

 

「自分をより良く変えたい」と思うのは、元サバイバーでも一般的な家庭で育った人間でも関係なく大事な事やと思う。

 

「生きづらさ」なんて言葉が流行ってるけど・・・・・。

 

私みたいに何のバックグラウンドも無くて「食いっぱぐれる」というシンプルな切羽詰まった状況がなかったら、それはなかなか難しいことかも知れんけど。

 

だけど自分の生き方のクセみたいなモノに気付いてソレをより良く変えようとするエネルギーって、やってみると不思議とそんなに消耗しない。
それが「本気」であれば。

 

「社会のせい」を続けてる方が、ずっと消耗する。

 

「生きづらさ」なんてのを掘り下げるのが、ホンマに誰かの人生の役に立つんかな。

 

私はいままで、失敗をたくさんしてきても後悔っていうのは無い。


病気してる今の自分も、健康を取り戻したいとは思うけど、健康やった時の自分に戻りたいとは絶対に思わない


過去を振り返っても、いつも現在の自分が一番やと思える。

だって常に、何かを自分なりに何とかしようとして必死やもん。 

 

 

「生きづらさ」なんていうのを考察する余裕は、私にはまだ無いわ。

 

 

ところでここ数年、たま~に2時間スペシャル版でやってる渡鬼
あんまり面白くない。時代に阿り過ぎ。

 

あるいは私が渡鬼を完全に卒業して「疑似体験」の必要が無くなったから、面白く感じなくなっただけかなんかな? 

 

 

 

 

 

おわり。