Maybe Tomorrow
問わず語りの記事ですので、興味のない方は他の記事へGO!
ハタチ前後ぐらいの若い子のブログを読んでてなにやら自分のとっても懐かしい昔の思い出が蘇ってきました。
それで、私が10代後半から20代の半ばぐらいまでのけっこう長い間聴いてたレベッカの「Maybe Tomorrow」という曲をふと思い出して妙にまた聞きたくなりました。
↓歌詞より引用
疲れ果てた からだ横たえ 目を閉じて今日を 思い返す
汗にまみれて ただ がむしゃらで 夢はまた遠い 一日だった
この歌い出しで「あ~、そうだったなぁ・・・」と、当時を思い出す。
私の子供時代は、今で言うサバイバーでした。
30歳前半まで、夜布団に入ってから何故かその時のことを急に思い出して号泣するっていうのが定期的にありました。具体的にどんなサバイバルだったか書くのは無理ですが。
素直wa無敵の来し方
母は私が小3の時に逐電。
私の最終学歴は中卒です。
父も腹違いの兄も、中卒。受験すらしていないそんな家。
私だけが高校受験して受かったのですが、通学できたのは1年の1学期だけ。
夏休みが終わるころ、父に連れられて学校に行き「家が貧しい。娘に働いてもらって、家にお金を入れてもらわんとあかん」と先生方に父が説明し、退学となりました。
あの時の担任と学年主任の顔、蝉の声だけする教室のガランとした静かなカンジ、今でもよく覚えています。
学年主任は「いったん、休学という事にしてまた通える時がきたら・・・」と言ってくれましたが父はきっぱり「いえ。退学で」と即答。父からのキックマイアス宣言。
↓コレ飲みながら記事書いてます。
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グレる余力も時間の猶予も無かった。私はすぐにアルバイトを探して、喫茶店で一か月働いたあとその給料を持って家を出た。というか、逃げた。
その後の詳細は面倒なので省きますが、16歳の終わり頃から2階建てのアパートの2階を借りて1人暮らしを始めました。21歳ぐらいまでそこに住んでたと思う。
なんせ親から逃げてきてるから一人で生きていくのが第一の優先事項でとにかく必死。
私が育った時代は、高度成長期~バブルの終焉が見えてきた頃。
子供の頃はそんな世の中の好景気の恩恵から完全に外れた家庭で貧しく育ってきた訳ですが、家を出たことでそんな世間のあらゆる恩恵にあずかる事ができ、こんな私でも食いっぱぐれずにすみました。
テレビとかで貧しい国の子達が、身を削るようにして働いて勉強して大学まで進学してるのとかを観ると、さすがに学歴を中卒のままほったらかしにしてた自分自身がたまらなく恥ずかしくなってまうんですが、若い時は仕事に困った事がなくて人間関係にもすごく恵まれてたから、日常生活で中卒の自分を恥ずかしいと思った事がなかったのです。それも善し悪しですね。この場合。
とはいえ、やっぱり心の片隅にちゃんとコンプレックスはあります。
ところでこのMaybe Tomorrowの歌詞にある「夢はまた遠い 一日だった」ってとこ。
私には「夢ってどうやって持つの?」って、そこが全然わかりませんでした。
自分の生活の不安を無くすためだけに汲々としてて、誰かのために生きる自分なんて想像したこともなかった。
でも「強い自分」になりたいとずっと思ってました。自分が強かったら何にでもなれる。
夢なんてその後でもいい。そう考えてたように思います。
なんにせよ、今の私は当時からはうんと遠いところにいて、血縁の誰からも大事にしてもらえずとも、他人である夫からはとても大事にしてもらってる。
今、日本の子供の6人のうちの1人が貧困で多方面から物理的な支援をやってるけど、この国で貧困になってしまうっていうその家庭の背景をちゃんと見て解決していかないといけない。それに、貧困でないタイプのサバイバーもいるから大変ややこしい。
はたから見てても、その家庭で子供がどんな扱いをうけてるかなんてわからない。あるいはうすうすわかってても、人の家庭の中は治外法権やから誰にもどうにもできない。
私が心配なのは、子供の頃よりも大人になってからの人生の方がずっと長いってこと。貧困の連鎖も、暴力の連鎖も、なんでそうなるのか私には理解できます。なんとか生き延びて大人になったサバイバー達が世の中に出た時に、必要な時に専門家のカウンセリングとか無料で受けられたらいいのに。
この「Maybe Tomorrow」を聴くと、様々な来し方の全てのサバイバー達が、その宿命から脱することを本当に心から願う気持ちが湧いてきます。