「選択肢」について思う事
「選択肢」にこだわる人と、そうでない人が歩む人生の違いについて
はじめに
子供時代~20歳ぐらいまでの私自身の来し方が元々「選択肢がない」環境であったので、その頃の自分は「選択肢を多く持つのははじめから環境に恵まれている人だけだ」と思い込んでいた。
そんな私も色んな人と出会うことで「自らの努力で選択肢を増やそうとしている人はエライ。強い人だ」と思うようになった。
その後、徐々に社会的スキルも身に付き、仕事やプライベートで多くの老若男女と接するなかで、疑問が芽生えてきた。
それは、
「選択肢の多さ」=「幸福の可能性の多さ」では無い
よね・・・?と、思った事だ。
アラフィフになった今、周囲の同年代で「選択肢の多さ」を求める人で人生が上手くいってるのを見たことないから、やっぱそうなんやと。
なぜそう思ったのか。その理由を書いていきたいと思う。
「選択肢は多い方がいい」と思うのは自信の無さの表れ
人生は選択の連続であるが、どれだけの数の選択肢があろうが選べるのは常にただ一つの道である。
それでもこだわる人はたぶんこう思っているんだと思う。
「選んだ道で上手く行かなかった時のために、他の選択肢が必要なんだ」と。
うん。言いたいことはわかる。
もしソレが¥投資や👗洋服であれば「これもあってよかった。備えあれば憂いなしや」となるしどんどん変えていけばいいけど、人生そのものにおけるソレは違う。
どの道を歩むことになっても「私はその場で幸福を掴んでみせる」という強い意志というか自信があれば「選択肢」を増やす必要などないからだ。
自分自身を掘り下げること無くして、外にばかり選択肢を見出してもそれらは後々「あの道を選んでいれば違っていたかも・・・」というような「後悔の種」にしかならない。
「選択肢」はただの絵に書いたモチ *A子の場合
私と同い年の友人のA子は、2つの結婚相談所に登録して3年目になろうとしている。彼女も「選択肢をできるだけ多く」の人間。
5~6年の不倫をして40歳前後ぐらいから子供が欲しいと言い出した。
その相手は「元カレ」と名称変更がなされただけで関係は継続中。
彼女のおウチは親がしっかりしてるのでシングルマザーでもあんまり苦労せんやろうと思い「そんなに産みたいんやったら、結婚せんでも子供だけ作ったら?」って言ってみると、
「だって、ご両親が揃ってない子は可哀想でしょう?」と即答。👀!!その選択肢はナイんや!っていうか、私を前によくそのセリフが言えるな。
それに、今どきそんなん言う人がおるとは思わんかった・・・。
想定外の返答に唖然としてもうた。ちょっと愚痴が入ってしまい失礼。
まどろっこしいので先に結論を言ってしまえば、人柄と頭の良さと努力と強さがあればどの選択肢を選んでも良い人生になるという事。
だから、多くの選択肢は必要ない。
世の「デキる人間」が言う「選択肢」を、「デキない人間」が間に受けて自分を磨いたり鍛錬したりせずただ「自分も」って乗っかろうとしてるのはホント悲劇。
「選択肢が多い」という事のメリットが不明
人生とまで言わずとも、世の中のサービス業でも同じ事が言えると思う。
いわゆる「選べるコース」が4つ以上あったりするヤツ。
コースが多いと、説明する従業員側もそれぞれのコースのサービス内容を覚えなきゃならんのも負担やし、だいたいお客に説明するのにもとても時間がかかる。
よっぽど優秀な従業員ばかりが揃ってるなら話は別やろうけど。
お客も自分にとってどれが一番良いのか、悩む時間が長くなる。
で、その割にはあとになって「やっぱり△△コースの方が良かったかな・・・」となってしまう。
選択肢が多いのは、一見お客側にメリットがあるかのようでそれを狙ってるんやろうけど、これもある意味、提供する会社側の自信の無さの表れであると思う。
コースは多くても3つまでだと私は思う。
自社のサービスに自信があり「どのコースをえらんでいただいてもきっと、ご満足いただける」という自信があれば、内容の説明もシンプルにでき、その方がお客も悩まず時間もかからず安心して任せられるというものだ。
まとめ
「選択肢は多い方がいい」ではなく、「選択肢はあった方がいい」が正解。
ひとつの道で結果を出せれば、おのずと別の選択肢も増えていくからその時にまた勉強しながら色んな人に相談して考えたらいい。
勘違いしてる人はなるべく若い時に、このことを知ったほうがいい。
おわり。