経験と敬虔
私どもアラフィフ夫婦の休日は、だいたい「珈琲館でモーニング」から始まる。
で、いつものように🚙そこへ出かけてみるとナント( ゚Д゚)!閉まってた。
...定休日?なのかと思いきや、ドアを見たら「OPEN朝9:00~」というコトで。
この時まだ8時20分だったから、アラフィフ夫婦はしばしの小競り合いののち、別のプランをそれぞれ提案し合い、そして結局どこにも寄らずそのまま家に戻って「トーストと紅茶」という🏠ウチの平日の朝メニューですませることに。
で、なんとなしに点けてみたテレビが「即位の礼 晩餐会 密着ドキュメンタリー」っていうのをやってて、これがすごく見ごたえがあって面白ろかった。
晩餐会に訪れる190もの国の賓客。
「国賓とひとことで言っても、お国によって歩くスピードが違う。でも、みな同じ時刻に晩餐会の会場に入るように案内しなければならない」と言っていたニューオータニのホテルスタッフ。
宗教上の理由だけでなく個々の信条やアレルギーにも対応した別メニューがあり、それを間違えることなくまた、それを感じさせることもなくスマートに提供しなければならないウエイターのかたがた。
ともあれ、色んな分野のプロ中のプロの人々が結集して形作られた晩餐会なのだけども、この番組では料理人の方々がフォーカスされてました。
「料理人は約50名」って言ってたと思うけど、スープやメインやデザート等の各担当の代表、そして晩餐会「70分」のタイムキーパーの人。
そんな10~12人ぐらいが、ミーティングで大まかな決め事をしていく様子から始まるドキュメンタリー。
清廉ではりつめた空気漂う狭い会議室。
ここに集う以前の、もう何カ月も前から各自が自分なりの最高のシミュレーションをしてきている。
で、当然ながらその何重も上をいく課題が次々と出される。
それを観て「ああ、こんな場が大好きやわ」と思わず呟くアラフィフ主婦。
パニック障害になる前に、自分がしてきた過去の仕事の緊張感を思い起こす。(当たり前やけどこういうのの比ではナイのですけど(゚Д゚)ノ)
「君は〇〇に命をかけてくれ」
こんなフレーズが自然と飛び交う。
それぞれに任された役割。
どれひとつ欠けても成り立たなくなる自覚、責任、プライド。
同じ「仕事に命をかける」のでも、こっちのいうコレとブラック企業が言うソレとの違い、わからない人がいるんだろうなぁ、なんて思いつつ。
どんな物事もヒトも、それ単品で存在するものなどなく、他の様々なモノと繋がって影響し合って存在している。
そういう「ひとつひとつの物事に対する思索」みたいなの、なんというか、一般的に言う年齢や経験っていうのは関係ないのかなって思ったりして。若くてもわかる人はわかるし、歳いっててもわからない人もいる。
「君は〇〇に命をかけてくれ」
そもそも、この言葉に対して「なんで??」とか「ヤだよ!」とかそういう感情はめっちゃ大事。
無意識に自分のなかで湧いた言葉に、見て見ぬフリをしたら絶対いくない。
こういうの、サクッと義務教育の範疇で子供に教えておいたほうがイイのかも。
だって社会に出たら...ただ単純に「その命をワシにくれ」と言うような悪いヤツがいるみたいだから。上司っていうのに限らず、恋人や配偶者や、意外と家族の誰かとか様々にあるかも。
そんなふうに色々と思いつつ、この番組📺を観ておりました。
目の前でブツブツ言う妻がうっとおしかったのか、一緒にテレビを観ていた夫は「ごちそうさま」と言って、そそくさと2階の自分の書斎へと上がっていきました。
それにしても、晩餐会に携わったスタッフの方々にとっては生涯で一番長い70分間だったんだろうなぁ...。
ああ、うらやましい。
「君は〇〇に命をかけてくれ」
イイなぁ。
だって、この場合の「命をかけてくれ」っていうのは、「君のこれまでの経験・プライドを信用した上で言う。それ以上の仕事をするために全身全霊をかけてくれ」って感じの意味であって。
幾つになっても「あん時は死ぬかと思ったわ」的な仕事、やっぱりたまにはやりたいですよ。
「生きてて良かった」っていう有難みも、普通に感じれますもんね。
あと十数年もしたらアラフィフ夫婦も晴れてシニアの仲間入りですが、ホント、わたしのパニック障害が治ってくれるとイイなぁ……。
ところでシレッと書いてますが、前回のブログ記事からちょうど8カ月経ってました。
タイトルの「経験と敬虔」をすっかり忘れて記事を書いちゃいました。
もはや何が言いたかったのかもはっきりしません。スミマセン…
そんな訳で。
sunaowamutekiのブログ、(-_-;) まだちゃんと生きてます。