心の中をロマンでいっぱいにして死にたい
ブログを始めて50日が経った
その記念に、というかそれを言い訳に呟きます🐼
ブログを始めて良かったことと悪かったこと
良かったことは、記事を書く事で自分の思い出が整理されていき、他の人のブログを読むことで「自分だけじゃないんや」とか「自分とまったく同じ人はいない」という当たり前の事を日々再認識できる事。
悪かったことは、パニック障害が出やすくなった事。私の場合は、心身共に完全にリラックスしてるホントに良い状態の時にそれが出る。
もともと文字を書くのが好きで、仕事を辞めてからずっと溜まっていたものを日々アウトプット出来る場ができて久々に承認欲求も得られて、すんごく癒されてたのが原因。
匿名のブログやから何でも書ける。とはいえ・・・
自分の中でまだ整理できてない事は記事に出来ない。ってそんな大層な。別に無理してする必要がないしエエねんけど。
「考える事」は趣味やけど「悩む事」は趣味じゃないから、考えても解決出ない事柄はそのままず~っと持っとくだけになる。こういうのは記事にできない。また、匿名と雖も私はわりと気が小さくて「身・口・意」の三業を気にしてるから、思った事をそのままぶつけるのも無理。笑える何かとセットでないとディスられへんのが残念なところ。
仕事を辞めて以降、自分が上を向くきっかけとなったインタビュー記事がある
そのインタビューを受けてたのは、もうめっちゃお婆ちゃんの日本画家やねんけど(←失礼)大病してベッドから出られへんかった時に顕微鏡を差し入れしてもらって、自分の髪の毛とかそのへんの埃とか手に届くものを日々顕微鏡で観ることで自分の好奇心を満たしたという内容のもの。
これを読んでなんか、すごい泣けた。
この頃の私は自分の未来を悲観してたから、私も最悪(←失礼)の場合そうしようと同じこと考えてたからめっちゃ親近感がわいた。
それで私は「幸福を諦めたらアカン」と上を向くことが出来た。
そして、この方の「人として1ミリでも上昇して死にたい」という言葉で、人はどんな状況下でも魂の健康を維持する方法は残されているという自分の中のぼんやりした光明を100%肯定する気持ちになれた。
その時の記事と同じようなインタビュー記事が2012年の日経電子版にあったので、その一部を抜粋します。↓
「群れるな・慣れるな・頼るな 好奇心を生涯保つ術」 日本画家 堀文子氏
ーー「群れない」「慣れない」「頼らない」というのは、若いころはいいのですが、高齢になると、不安ではないですか。
堀 私は一人が好きだからそうしているのであって、それは仕方がないです。
絵を描くということは自分のなかにあるものを表現しているんですから、他人にあれこれ言われるとだめなんです。だから師匠にもつかないし、弟子も持ちません。■自分を失わないよう、人を頼りすぎない
――人と交流することはお嫌いではないようですね。
堀 人は大好きで、尊敬しているし、すばらしいと思うのですけれど、その方にべったりしてしまうと自分を失います。だから自分の巣穴にいるのが好きです。
一人孤独で死んでいく私の姿を考えると、ずいぶん、はた迷惑で、困ったものだと思います。けれど、現在のように身体の自由があまりきかなくなってきたこの状態になっても、一人でやっています。
ただ、昼間はいろいろな方に助けていただいています。昼のご飯をこしらえるとか、買い物にいくとか、お洗濯とか……。そういうことは全部やろうと思ってもできませんから、それはやっていただいてます。でも、夜ぐらいは自分の姿でいたいと思います。
――90代の残り、そして100歳を超えて、どんなことをしたいと思っていますか。
堀 そんな恐ろしいこと、言わないでください。長生きは大変なことです。自分の能力が刻々と落ちて、物を忘れる。自分がいま、考えていることさえ忘れるんです。それほど衰えるんです。これはこの歳になってみないと分かりません。
私は50代くらいは死の恐怖が観念的にありました。寝るのが怖いというのが2年くらい続きました。今は死が私の中に8割入っているから、同居しているようなものです。死と連れ合っている感じがちょっとあります。
――堀さんは「人として1ミリでも上昇して死にたいと思っています」とおっしゃっています。
堀 いまは1ミリも伸びられない自分が分かってきました。
■90代、知りたいことが日に日に増えていく
――90歳まで生きて、分かることなどはありますか。
堀 自分がいかにものを知らなかったかということが日に日に増えてくる。ものを知りたいという気持ちが刻々と増えてきます。本当のことをよく考えたことがあっただろうかと思い、知りたいことが増えてきます。ふだん普通に生活をしていると、いろいろな欲望や周囲のことなど雑念が多いから、あまりものを究極に考える暇がないのですね。
興味がある方は、リンク貼っときます。↓
ともあれ、人は病を得ることで人生観を深める事ができる。
ボランティア活動者に完全に健康な人は少なく、病の経験者や病を持ちながら日常生活を送ってる人、体に障がいがある人のほうが多いと聞くけど、私自身も健康な時はボランティア活動にめっちゃ懐疑的で、ボランティアという言葉自体好きではなかったのに、いまでは自分にできるボランティアはないかと探したり、健康で稼いでいた時には思いもしなかった振替での毎月の寄付もするように変わったのだからたぶんそうなんだろうと思う。
自分から一人になりたがる性格なのに、社会の方から必要とされないとマジでやばいぐらい凹んでしまう。少しでも、世の中の役に立つ自分を意識していないと、健康で長生きする人への嫉妬心が抑えられなくなって辛いという時もある。
ホント、なかなかに傷付きやすくなってしまうモンです。
いつもそうな訳では決してないけど。
この堀文子さん程ではないけど、いま私の中に死が3割ある。夫がもし先に逝くことを想定すると6割になる。
そうすると、自分が死ぬ時はどうありたいかというのが自然と答えが出る。
私はこの胸をロマンで埋め尽くして死にたい。
だから、それに向かって生きていく努力をする。
他の人って、そのあたりどう思ってるんやろう?
長々と呟いてしまい、大変失礼しました。 100日目はもっと呟いたりして😁
おわり。