この心が向く方へ
過去を振り返ってみた。
「迷っていた自分」という記憶が見当たらなかった。
他の人は、決断の前にそんなに迷うものなのだろうか?
本当はいつも迷っていたのに、自分で気付いていないだけだろうか。だとしたら、自分にとって重要でない感情として無意識に淘汰されてきているだけかな。
たぶん私にとって「迷う」っていう事は、本能的にあんまりよくないと感じている時だ。
そして私の場合は「迷ってる」時間が長くなればなるほど、今度はその状態を自分で無理にポジティブな方向へ(要するに、決断できない言い訳として)持って行くことでその事柄に関しては決断する事を放棄してしまい、結果...
当初、本能的に感じていた以上に悪い結果となって自分に跳ね返ってくる。
跳ね返ってきた精神的&物理的な損害(?)は、どんなことであれ、どんなに長引く心の傷になる事だとしても、これはもう相手のせいにはせず、潔く自分の判断の過ちとして捉えたほうが精神安定上イイ。
この思考のクセは私、わりと子供の頃から自分なりに身に付けたもので。
「人のせいにしない」というヤツです。
過去の記事でいくつか書いてますが、私は恵まれない子供時代を過ごしたおかげなのか「人のせい」にしてしまうと余計に自分が苦しくなってしまい「精神的な避難所」がなくなるという事をわりと早い段階で気付いていたのだと思う。
しかしながら、そんな私でも。
これが自分ひとりの事ではなく、相手の事もある場合は少し「迷う」という感情がわかる。
自分の決断が、大切な人を不幸にしてしまうかも知れない時などは。
人生のいくつかの場面で、自分が選択したくないことを大切な誰かのためにすることだってある。
でも、重要なのは。
私は貪欲だから、どうしても自分の心の向く方にしか決断できないという揺るがない事実。
それを自分でよくわかっているから「迷う」というより考える。
「思い」の方向はいつも1つしかない。大切な人を幸せに。自分でもできるベストな選択はどれか。そのために何を切り捨てる事ができるか。
だから、私にとっての「迷い」と「決断」の方針は常にハッキリしている。
いつもいつも、この心が向く方へ。
その先にあるのは、世間からの評価とは関係がない「後悔の無い未来」だからだ。
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