思ったことをそのまま書いてみる
とりとめのない内容ですが、今日思ったことをそのまま記事にしてみます。
自分を委ねる相手
仙人みたいにならない限り、人はいくつになっても自分を委ねられる相手を必要とする。無人島に一人暮らすなら、自然そのものに自分を委ねるしかないんかな。
大人だって、時には無条件に誰かに甘えたいし、褒められたいし、時にははっきりと諭しても欲しい。可能なら「頭良くなあれ~」とかおまじないもかけてもらいたい。
私の場合、自分を委ねる相手に求めるのは、私より力も勇気もあり、かつ自分を攻撃せず危険から守ってくれる人間。
私は力が弱く勇気も無いし、普段は表に出さないだけでわりとすぐに人を攻撃するし、誰かを危険から守るアタマも甲斐性も無い。
なんのことはない。自分に無いものを相手に求めているのである。
あと、リアルの存在でなくても歴史上の人物等や偉人達の言葉や、またブログの中にも自分が必要な時に必要な教えを乞える人がいるのも私にとって大切なことです。
「苦労」というものの価値
歳を重ねると体も精神も弱り、苦労に耐えられないから苦労したくてもできない。それでも無理して踏ん張って苦労したところで、老い先どれだけそれが報われるのか。「若い時の苦労は買ってでもせよ」というのは「将来という長い時間が残っている内に努力しとく方が得だぞ」という事です。
それだけに、歳がいってから新しい事に挑戦する人って本当に立派だと思う。
ただ、それとは別に気になるのは「苦労した」というだけで人間性を評価してもらえる時代はもう何十年も前に終わっていて、現代は「最小限の苦労で最大の成功を収めた」ノウハウが評価されるという事だ。
私が「今の若い人は大変やな」と思うのはそういう部分で。
察しがイイ子なら、小学生ぐらいで自分の能力を見極めてしまうかもしれない。そうなると「何の為に勉強するのか」という疑問に、私たち大人は合理的で現実的でかつ人間としての何らかの正しい信念に基づいた明確な答えを必要とされる。と、思いたい。
その答えを準備できていない人間が「みんながやってることなのになぜおまえはやらないんだ」と言うだけではますますもって逆効果。
心の底から興味が持てない事柄に、自分なりの必然性を見出して頑張るというのは、大人でもなかなか出来ることではない。
それは、世間で言うところの「男女の役割」に対しても同じことが言えるんじゃないかと思います。
辛酸を舐めないと人間は強くならない
もうなんだか、いよいよ誰に向かって言ってるのかわからんくなって来ました。
でも続けます。
たくさん苦労をしたことで、逆に全てに懐疑的で軟弱になってしまう人間もいる。私は人間を強くする要素は、苦労がどうこうではなく「どれだけの辛酸を舐めてきたか」だと思っています。今ではほとんど使われない「ハングリー精神」の事ですが、どんな時代でどんな境遇になっても、それは自身の人生の日々を守ってくれる強さとなってくれると思っています。
「辛酸」には、辞書に載っているその意味以上の苦悩がある。
自分のせいではないのに、現在も未来も、その先は過去となってまで、決して消えない理不尽な苦しみ。
自分が周りの人と違うことで、誰かがズバッと言ってきたり陰でコソコソ言われたり。さらには暴力を受けたり。そんな風に傷付けられている自分を誰も助けてくれなかったり、むしろ笑う人もいたり。
「辛酸」とは、そういうこと。
ブログを始めて愉快な事
実際、誰にともなくこんな事を書いてネットに上げてる自分がいる事がフシギであります。
それと、ブログを始めてから今日まで色んな方々のブログを読んでてビックリした事は、それぞれのブログで「俺とか僕」とか「オバサンとか女子会で」というような記述が出てきて、
「男やったんか!👀」
とか、逆に、
「女やったん?!👀」と、それまでの自分の思い込みを覆されるとすごく愉快です。(*´▽`*)
別に重要な事でもない、あまりに些細なことで(それに失礼やし)、なんじゃそれ?って言われそうなんですが、
「男女の違いって、ホルモンと体の造りだけやねんな」
とつくづく思った次第です。どのブロガーさんの事か?なんて、そんなこと口が裂けても言えませんです。
以上、今日思った事の色々でした。長々とすみません。