LGBTがわかる本(漫画)
本当の紳士・淑女を目指してLGBTを理解してみよう
私の以前の勤め先でカミングアウトした男の子がいました。
それをどうこう言う人は当然ながらいませんでした。
ほんの一部の人間だけは、食堂とか喫煙室で大げさに話していましたが、その様子はホント見苦しかったです。
それに対してこちらが眉を顰めてるのに気づいても、そのカミングアウトした男の子のことを不快に思ってるんだと勘違いして、増々勢い付いて話しておりました。
こういうのを騒ぐのって女性が多いです。まれに、その中に男性も混じってたりしますがいずれも、ただ「みんなでキャーキャー言いたい」だけだったりします。
で、そういう人達はLGBTには今までもこれからもこれっぽっちも興味がない人達です。ただたんに、自分から何かを発信して目立ってる人に嫉妬してるだけかも知れません。
LGBTのカミングアウトに限った事ではないです。
プライベートに関わる打ち明け話というのは、聞いたこちらは決して大げさな態度を見せたりせずにさらりと真摯な態度で受け止めたいものです。紳士・淑女のソレで聞きましょう。
別に何物でもない私ですが、アラフィフのオバちゃんという事で、少し説教じみたことを世間の誰かに対して言ってみたくなりました。
さて、いずれブログで紹介するつもりでいた本(漫画)ですが、有名人のカミングアウトがあったので旬な話としてイイんじゃないかと思い紹介します。
「性別が、ない!」人たちとのつきあい方
例えばですね、初めて抹茶を飲むのに「爽やかで飲みやすいグリーンティー」ではなくガッツリ「濃茶」から・・・というのが私のスタンスでして。
注意※新井祥の描く漫画はどれも性の表現がダイレクトです。内容が濃く面白いですけれども。
↓またまたぼやっとした写真でスミマセン。
この本は、LGBTを理解したいと思ってる方や、自分がLGBTかも知れないと悩んでる人にオススメです。
どんな本?
2011年7月20日初版発行の本で、当時はまだLGBTという言葉が一般的でない頃。
本の中で著者が、
この本に書いてあることはあくまでも2011年現在でのことだということ。性別に関しての価値観がすごいスピードで変化していっている現代日本。数年後は“常識”がガラリと変わっているかもしれないから・・・!
と言っています。
当時は、セクマイ(セクシャルマイノリティ)という言い方がよく使われていた様子。
著者自身が両性具有者である事から、LGBTの中でもとくに「中性」に特化した内容ですが、あらゆるパターンのセクシャルマイノリティの人々の日常について描かれているので、一番理解がしやすいと思うのです。
漫画であるというのも、またイイと思います。
堅苦しくなく、それこそ寝転んでキャラメルコーンでも食べながら読んでもいいワケです。私はそんなお行儀のワルイ事はしませんヨ。
こういうのって、それぐらいフランクでフラットでニュートラルな状態で知識を入れるのがちょうどイイんだと思います。
私のこの本に対する印象は「性別が、ない!」というよりは、「性別だけではわからない事があまりにも多くある」という事でした。
あらゆる意味で、あからさまな表現がとても多い漫画です。
ですが、決してソレだけでなくちゃんと精神的な部分も描かれています。
LGBTってどういう意味?
リンク先↓
この記事がただの一般人のブログといえども、コレに関して適当なリサーチと思い込みだけで記事を書く訳にいかない。
だから、LGBTとは何なのかを直接このリンク先でご確認ください。
決して手抜きをしているわけでは・・・(;^ω^)
これまでのLGBTの人々との出会い
と言うか、こぼれ話的な色々。
最初は、私が16~7歳の時にアルバイトしていた喫茶店のコーヒーの出前先に女装男性のショーパブがありました。もちろん昼間の出前です!
還暦ぐらいの小柄な男性チーフが何やら帳面を付けてて、コーヒーを届けると「ありがとう。コレ食べ」と言って時々、お客さんに出すチャーム用のチョコレートを大きな茶封筒に入れて私に渡してくれたりしました。
日によっては、ショーダンスの練習中の風景を見る事もありました。
「ハイ!!ワン・ツー、ワン・・・そこもっと右!」
とか、音楽無しの手拍子だけで(手が大きいからよく響くんですコレが)やってるのを、めっちゃ見て👀いたいけどアカンアカンと自分を律してそそくさといつも戻ってました。
たまに、その女装男性の方々が夕方3~4人でお店にコーヒーを飲みに来てた時は、最初はみんな女性の言葉で喋っているんですが、話が盛り上がってくると「ガハハハ~!」と男笑いになってて面白かった。ほんで、途中で「ハッ」として誰ともなくまた女性の言葉に戻っていくのもまたイイ感じで( *´艸`)
あと、中学の時の同級生Tちゃん。10年ぶりに会ったらレズビアンになってました。
その後、バイセクシャルになり、今は長年お付き合いしてる男性がいます。
最後は、北新地でホステスのアルバイトをしてた時に、同じホステスの子が男装女性の人と付き合っていました。
そのホステスの子に連れられて、その彼が働くホストクラブに連れられて行きました。
「自分自身に正直に生きたい」という気持ちを、長い間抱き続けて生きてきた人というのは感受性が豊かで「他人の心の機微」にも敏感であるように思います。
コミュニケーション能力に長けていて、相手に配慮しながら面白い事を言って笑わせたり「相手に気を使わせない」雰囲気や話術はホントにお見事。一緒にいて楽しいですし、私はLGBTの人々との関わりの中で「紳士・淑女」のそれを勉強していた気がします。そう言いながら淑女になれてない。
ただひとつだけ「付き合いきれん」と思ったのが、けっこうみんな恋人に対してあからさまに嫉妬深いことでした。
同級生のTちゃんも、よく嫉妬にかられて泣いていましたし、ホステスの子もその彼と嫉妬が原因のケンカを度々してました。顔を腫らしたり血が出てたりとわりと激しいヤツを。
とは言え「部外者」の私がどうこうしたり言ったりする立場でもないし、だいいち「お呼びでナイ」のですけども。
まとめ
LGBTという言葉も「人付き合いの中での便宜上」で使用するカテゴリであると捉えるなら、これまでの「男と女」というのと同じです。
何が言いたいかというと、たんなるカテゴリとしてならLGBTという言葉自体も無意味だという事です。
カテゴリ分けをしたところで、その枠の中にも宇宙があるのです。
当たり前のコトながら「性的指向」はその人の一面だけです。
私たちは皆「生老病死」という平等な試練と幸福の中で生きている者同志だというのが「現代に必要なジェンダーフリーの捉え方」だと思います。