sunaowamuteki’s blog

フザケたり真面目に幸福を追求したりロマンを大切にしたりしながら生きてる日常。


ベーシックインカムや無税で貧困問題が解決するなら石器時代に格差社会は無かったということになる?

ベーシックインカムに対し自分が「賛成」と言えないのは何故だろう?

何もせずにお金を貰えるのは単純にウレシイ。それが「自分だけ」だったらコワくて貰えないけど「みんな一緒に同額貰える」ならモンダイない。それなのに?

「働かずにお金を貰ったら堕落してまうやん」等その他諸々のメンタルの部分の不安をあげていくと長くなりそうなのでそれはとりあえず横に置いといて、私なりのベーシックインカムへのギモンを考えてみました。

 

「貨幣が出来る以前」の人間の暮らしはどうだった?

ベーシックインカムで貧困問題って解決されるの?」っていうもやっとした疑問があるけど、その疑問の根底にあるものが何なのか自分でもよくわからなかったのでちょっと考えてみた。

エライ昔に遡ってしまうけど、貨幣ができる前は物々交換して、税金も物品で収めてた。
そのもっと以前なら「税金」も無い。

その時代の社会は「平等な暮らし」をしてたのかな?「格差」がなかったのかな?「貧困」はなかったのかな?

そうは思えない。

こんな問いかけ自体、無意味やな~と思えるぐらい。

強者に多く集まる図式は「物から貨幣」になっても変わらない

人間が安全で安定した暮らしを必要とすれば「群れ」が出来る。やがてそれは「組織」になる。立場の強弱が出る。弱者の中だけでもにさらに何らかの理由をつけて最下層の弱者を作る。

この図式は、石器時代も現代も一緒なのではないの?

たとえ、同額のお金を全員に配っても絶対・絶対・絶対に「貧困」は無くならないと思う。

私自身、子供時代に社会の底辺にいたので「とにかく現金が必要」という切羽詰まった状況を長く長~く経験してる。
それでも「格差」や「貧困」の問題が「国が現金を配ってくれないから」とか「税金を払わなければならないから」だなんて、そんな考えには全く至らない。というか、そんなふうに思ったことすら無い。

 

人間の未熟さによって「格差」は起こる

「格差」というのは「経済格差」だけじゃない。「愛情の格差」も「教育の格差」も「文化の格差」もある。

強い立場の者が弱い立場の者から奪うのは「お金」だけではない

こんな事を書いてると哀しくて涙が出てくるけど。

そしてこれらは大抵が「家庭」という最小単位の中で、それらの「格差」のきっかけの元が最初に形成されている。

「格差」のすべては人間の内面の在り様によって作られていく。

あらゆる事情で「全員」というのは無理であっても「何人か」のうち1人ぐらいは真剣に各自が自分の内面にある「自分さえよければ他のコトなんてどうでもイイ」という余裕のなさを乗り越える作業を一生かけてやっていくことが、すんごい遠回りなようではあっても「格差」を作らないことへの根本的な解決になっていくんだと私は思う。乗り越える作業をどうやるか?は自分の心に聞けばイイ。 

 

アレ?結局「精神論」に持っていきたいのかしら私? 

 

「お金を配れば貧困や格差がなくなる」は「お金を配ってるんだからあとはご自由に」となってしまう危険性はないの?

確かに現金があることで国民ひとりひとりの目先の問題が解決するパターンは多いと思う。でも、それはほんの一時的なもので限定的なものに過ぎない。

国民の暮らしをベーシックインカムで支えることになれば、現在ある福祉システムが手薄になったりしないのかな。
お金をポン、と国から貰うことによって逆に「社会から取り残される」人達が新たに出てくる危険はないのかな。

例えば、生活保護を貰っていると定期的に役所の人間が様子を確認しに家に来るという。でも、もっとまとまった金額が貰えるベーシックインカムになれば「訪問の必要はない」と判断される対象者は増えるような気がする…。

 

「お金の心配がなければ大勢の人間が幸福になれる」というのはある意味では正解。

でもそれが「ある意味では」という限定的なものに過ぎないということは世間の「お金に困っていない人達の不幸」をニュースとかで観てたらわかる。

 

インフレにならないようにコントロールできるの? 

国民全員の人数分、全てに同額のお金を配布するベーシックインカム。その金額がいくらまでなら、インフレの心配はないというような計算は可能なのか
あるいは、とりあえず見切り発車でドーンと一か月の生活費全てをベーシックインカムとして何年も配布し続けて、結果インフレとなった時に「ダイジョブ。コントロールできる」って。・・・・残念だけどちょっとそうは思えない。

例えばベーシックインカムで20万貰ってて「今年は不安定な天候で野菜もお米も高くなってしまって20万では今まで通りの健康的な食生活ができないから、貰える金額を増やして欲しい」とか。

人間の暮らしに必要な食料や物品やその他、ほとんどは自然から摂取しているもの。
一時的な天候不良なら問題なくても、「モノ」が極端に少なくなれば「交換できる手段」としての貨幣だけがあってもそれはタダの紙切れとなるのだし。

でもどんだけ心配しようと所詮ワタシの脳味噌では経済の専門家が「ダイジョウブ」と言えば、それを信じるしかないのだけども。

 

アカン。ベーシックインカムや無税で「格差」や「貧困問題」は無くなるのかというテーマで絞り込んでたのに、アホな自分では手に負えない経済の話になったら完全に手詰まり。(-_-;)

 

話は戻りますが、「お金」というものがなかった時代でも食料や住居を横取りする者たちはいたでしょうし、自分が得をするために他者を貶める者たちもいたでしょう。 

 

それに、これは勝手な(しかもイヤラシイ)妄想ですが「あのご家庭、ベーシックインカムだけで生活なさってるんですってよ」なんて新たな格差パターンもできたりして。

いずれにしても「生活費を配ったら格差がなくなる」というのは間違いだと思います。

それと、ベーシックインカムの前にまずは子供を産んだ女性が配偶者や両親に頼らなくても困らず生活できて、さらには「自己実現」も可能な社会システムを先に作った方が、手っ取り早く諸問題を解決できる気がします。 

もし、それが可能なら「ベーシックインカム自己実現が可能な社会」という説の証明にもなるんだろうし・・・。

 

しかし、私にとって「自己実現」はハードルが高くて難しい(実はピンとこない)。

それに、一見不平等であることが実は平等の証というような「意地」というか考え方が頭のどこかにあったからこそ、これまで人生頑張れたという部分がある。

 

なんにせよ、人間ひとり「幸福」にするのはホントに難しいし根気がいる作業です。お金をポンと渡して済むという事では決してない。

 

ベーシックインカムが日本を救う」的な響きにはどうしても懐疑的になる私でした。