キンモクセイの香りに思ったこと
木曜日の早朝にいつものように新聞配達をしていて、普段ならその日一番の澄んだ空気を思い切り吸い込めるハズが、何やら空気が良くなかった。たぶん、スモッグか何らかの大気汚染の影響があったんだと思う。その後も一日中空気が良くなく、窓を閉めて過ごした。
キンモクセイのこの時期。
ホントなら窓を開けるとどこかからやって来るその香りでイイ気分になるのに・・・。
おかげでその日は体調も気分もどんよりと重かった。
今日はそれとは打って変わって、キンモクセイの香りがとってもイイ香りに漂っていて気分が良い。・・・と思っていたら、ものスゴイ排気ガスを吐く原チャリが家の前を通過して行き、ソッコー窓を閉めるハメになった。
それで思った。
人間って欲深い。何かを手に入れたいと願いそれが叶うとそれを「自分だけのモノだ」とすぐ勘違いを起こして執着する。自分だけのモノなんて世界中のどこを探しても無い。だいいち、自分自身ですら自分のモノではないのだ。
ほんで、さらに思った。
自分ちに植えてあるキンモクセイが、風向きによって他所の家のほうにだけいい香りが飛んでたり、逆にキンモクセイの匂いが嫌いなのに、他所の家のキンモクセイの匂いが風に乗ってやってくる場合だってあるだろう。
そんな色んな思いを周囲に与えていることをキンモクセイ自身が知っていたとしても、キンモクセイになにができる?キンモクセイは、その場所でその季節に咲くことが役目なのだから、外野の存在や思惑を気にしていたら咲くに咲けなくなってしまう。
ブログだって同じ。自分が思ったことを記事にする。あ、それが言いたかったの…?(/・ω・)/
誰に課せられたわけでも需要があるのかないのかも知らないけれど「自分のブログ」が存在している以上「記事を書く」という役目を果たそうとする。
それにより不特定多数の人間がそれを読む事でその文字によって何らかの現象がおこる。
空気が暖まると風がおこるように、その温度が高ければ高いほどあらゆる種類のものが周囲に舞い上がる。「かまいたち」が出ることだってあるかもしれない。
人間の数だけある「考え方のクセ」みたいなものによってそれぞれの感情の動きが複雑でとらえ難いものになるけれども、その結果で起こる現象そのもの自体は結局どれも単純でシンプルだ。
そしてどんな現象も、ずっと続くものなどない。風と同じくそのうちいつかは止む。
だから、キンモクセイのように誰の何の思惑にも囚われずに「自分の記事」を書けばいい。
時にはそれがキンモクセイのように良い香りを放ってくれることも願いつつ。