sunaowamuteki’s blog

フザケたり真面目に幸福を追求したりロマンを大切にしたりしながら生きてる日常。


草間彌生作品の楽しみ方

2015年の11月に長野に旅行した際に行った松本市美術館

ここで、草間彌生作品を味わいました。

 

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メジャーなのは赤と白のドットの立体作品。あるいは黒と黄のドットのかぼちゃですね。 

 

 

芸術に関する専門知識は何も持たない私です。なんか微妙な言い方。勉強しようと思ったコトもないクセに。
なので私の主観で草間彌生の作品に感じたものを思うまま書いていきたいと思います。

今日の記事はちょっと長いです。時間のある時にどうぞ。

 

 

  

草間彌生の苦しみ 子供の頃

彼女は幼い頃から幻覚を見たり幻聴を聴いたりする事が多くあり、それらから逃れる手段が絵を描くことだったといいます。

自分の記憶からいったん出して描くことで、その絵の中に正体の判らぬそれらを閉じ込めることが出来たのかも知れません。

関係ないのですが私は子供の時に何度もみた悪夢があります。それは「輪っかが遠くから迫って来る」というもので、数を増やしながら、こちらに近づくにつれだんだん大きくなって目の前まで来たときに苦しくてハッと目が覚めるのです。

何故あれを「怖い」と感じたのか自分でもわからないのですが。今でも思い出すとちょっとだけなんだか息苦しくなります。

私のは「ただの夢」で、彼女のは起きている時に現実として幻覚や幻聴があるのですから苦しみのレベルが違っていて比較になりませんが、それを想像することはできます。そんな日々を送らねばならないなんて、ただただ「怖ろしい」のひと言です。
まして、両親にも誰にもその恐怖と苦しみを理解してもらえずそれが治る見込みもなく、ただ、絵を描くことによってのみ一時、少しでもそれらの現実から逃れられたのだろうと思われます。

 

自らの病との戦い 晩年

草間彌生の苦悩は晩年にも及びます。テレビで、その時の彼女の日常をドキュメンタリーにした番組を観ました。彼女が精神を病んで衝動的に自ら命を絶ってしまいそうになるという時期を過ごしていた頃のことです。
いつ、その発作がおこるかわからないので24時間、常にそばにスタッフの誰かがついているというものでした。
精神面だけでなく身体的にも思うように動けない日々が続く中、それでも1つでも多くの草間彌生の作品が世に生み出されるようにと、彼女が出来るだけ創作に集中できるよう、たくさんのスタッフが彼女をサポートしている様子でした。

その頃は芸術家としてすでに大きな成功を収めて久しく、私は「治療に専念したらいいのに。こんな状態でも絵を描き続けさせられるなんてなんだか可哀想」と感じました。凡人である私には、理解できない世界でした。

しかし現在は、その発作はもう克服されているようです。
彼女は「自分に与えられた天分を世に残すのが自分の使命。それを果たすのみ」と、あるインタビューで言ってました。
また、こうも言ってました。「使命を自覚し、それを果たすには必ず試練を与えられる。試練と使命はセット。試練を乗り越えた先にだけ、使命を果たせる道が出来る」と。

精神を病み激烈な苦しみが続く中、それでも休むことなく作品を生み出し続けていた理由は、この言葉にあったのだと思いました。

 

なぜ彼女は、水玉の作品を描き続けるのか

松本市美術館で鑑賞した、画面いっぱいに「原始細胞のようなもの」や「人の目」を無数に描いて埋め尽くした大きな絵の数々。
水玉以外のそんな作品をみている時に、私の中にストンと落ちてきた言葉がありました。
「反復と増殖」です。

 

彼女は、幼少の頃から絵を描くのが好きだったといいます。草花や色んな絵を描く際に対象となるその「命」を感じて絵に表していたのでしょう。
彼女のその後の一生にわたる創作活動に対し、最初にインスピレーションを与えたのは幻覚と幻聴であったのは確かです。幻覚と幻聴にやがて「自らの生」を感じ、それを機に自らの中に深く深く入り込み、やがて細胞レベルにまで自分を原始化していったのではないかと思います。 草間彌生に与えられた幼少期からの苦しみの全ては、彼女にとっての「命」への理解を得る為の試練であり、また、彼女にのみ与えられた「命」の表現方法を見出すための方途であったと思われます。

 

自らの内に延々と繰り返される消滅と誕生。自分以外の命との関わりが加わる事で「永遠」が現実となっていく。例えて言うなら、雌雄の間の営みによる反復の行為とその結果で生み出される次の「命」。
「永遠」を紡いでいるのは、この「反復と増殖」である。
それが草間彌生作品の根底にあるテーマであり、数々の作品に様々な形で描かれるそのテーマの表現の究極の最終形態が「水玉」なのである、と私はそう感じました。(^^)

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草間彌生89歳 命ある限り「愛」と「平和」を表現し続ける

草間彌生はインタビューで「私にとって生きるということは、それは愛と平和を自分の持つ全身全霊を使って表現していくこと」であり、彼女のする呼吸も食事も全てが「その為にある」と断言していました。
「永遠」を紡ぐ「反復と増殖」。これは「愛」と「平和」によって成り立つ「永遠」でなければならない。故に彼女は描きつづける。作品によってその「永遠」を体現できるのは、彼女にだけに与えられた天分であるからだ。

 

草間彌生作品の楽しみ方

観て感じる芸術に言葉は不要です。こんだけ書いといていまさらか、オイ。
しかしながら、芸術に関する専門的知識のバックグラウンドに頼らず拘らず、自由におのおのの感性のままに口にだして語り合うのは時には楽しいことですし、またそれによって新たな刺激を受ける事もできるんじゃないかと思っています。

最後に、そんな風に楽しみたい人への草間彌生作品の鑑賞の仕方を紹介します。
「余計なお世話じゃ」という方はどうぞ読み飛ばしてください。(*'ω'*) 

私は、彼女の作品の根底にあるテーマは「反復と増殖」であると言いました。草間彌生の創作年代によって、それが様々な表現方法になっています。
例えば、ひとつの作品の絵の中に様々なモチーフが描かれ、色彩もカラフルであるような場合には、「反復と増殖」という命の活動がもたらす現実世界の中での喜びや哀しみをも表現されていて、作者がそれらの営みに愛と平和を感じている様子が伝わり温かい気持ちになります。
「反復」ありきの前衛的な作品には、作者の若々しい生き生きとしたリアルな感性を感じる事ができます。

あるいはひたすら「増殖」を続ける作品もあります。「増殖」三昧に入ったイメージで宇宙と一体になっている感じさえします。

水玉作品においては、それらをすべて包括した究極の造形です。

 

今、京都祇園で開催されている展覧会のリンクです↓

FMOCA フォーエバー現代美術館 祇園・京都 | 伝統文化と現代美術が融合した新しいアート空間

草間彌生 永遠の南瓜展」です。
草間彌生作品を苦手という人もいますが(それは私の友人。(;^ω^)この南瓜作品が受け付けないらしい)もちろん好き嫌いは自由ですが、草間彌生はその新しいテーマと表現方法を確立した現代美術の女王です。
機会があれば是非、親しんでいただければな~と思います。